チャネリングの歴史

古代からチャネリングは行われてきており、日本では神託による政治を統治したといわれる邪馬台国の女王卑弥呼などがチャネラーとして代表的に挙げられます。この名称が一般的に使われるようになったのはアメリカのニューエイジ運動が隆盛した1980年代頃から。ニューエイジ思想を支持する者達が使用していたことから広まり、用語として使われるようになりました。
近代では、チャネラーとして一般的な認知の中では「20世紀最大の奇跡の人」と呼ばれる予言者エドガー・ケイシーや、青森イタコをはじめとする霊媒師が挙げられます。

青森・イタコの例

イタコははっきりとした起源は諸説ありますが、18世紀頃には南部で神託としてチャネリングを行う盲目の巫女に関して記録が残されています。
陸奥全域でイタコは盲目や弱視などの先天的、あるいは事故などによってハンディキャップを負った女性の職業され、チャネリング能力を研ぎ澄ませる修行を経た霊能者の名称として認識されるようになりました。
明治初期には青森県内には300名ほどのイタコがいたといわれています。

明治の終わり頃、日清・日露戦争が勃発。多くの戦死者の霊を慰めるために、南部地方では、死者の魂は恐山に行くと信じられていたことから、イタコ達は集いはじめました。
当時の農村では仏事や例大祭などを欠かさず大切にしており、南部地方では霊的存在とのチャネリングをはじめ、深刻な悩みや問題においての相談などをイタコに依頼することが定着していきました。
しかし、世間統治のための政府からの逮捕や虐待による弾圧や、偏見の目も厳しく、次第にイタコの数は減少していきました。
第二次世界大戦後は、高度成長期などを経て生活環境も大きく変わり、イタコを職業とする者はさらに激減。現在はほんの一握りの人数が残るのみとなり、習俗の名残として、恐山の例大祭にはイタコの口寄せが行われています。

エドガー・ケイシーの例

近代のチャネラーとして、その圧倒的な実績と貢献からエドガー・ケイシーは、チャネリングの歴史の中でも有名な人物。
ケイシーは、原因不明の病から回復後にリーディング能力に目覚め、アカシックレコードと呼ばれる宇宙意識とチャネリングし、24歳から43年の間、14,000件にものぼるサイキックリーディングを行い、様々な分野に力を注ぎ続けてきました。
ケイシーの残したリーディングの中では、予言も数多くあり、世界大恐慌や第二次世界大戦の勃発、日本への原子爆弾投下など、数々の予言を的中させてきたことから、20世紀最大の予言者として、現在もその名を知られています。